大判例

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東京地方裁判所 昭和44年(刑わ)5591号 判決

主文

1  被告人Aを懲役一年四月に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

ただし、同被告人に対し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

2  被告人Bを懲役一年一〇月に処する。

未決勾留日数中二六〇日を右刑に算入する。

ただし、同被告人に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

3  被告人Cを懲役一年四月に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

ただし、同被告人に対し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

4  被告人Dを懲役一年八月に処する。

未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入する。

ただし、同被告人に対し、この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

5  被告人Eを懲役一年六月に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

ただし、同被告人に対し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

6  被告人Fを懲役一年八月に処する。

未決勾留日数中二六〇日を右刑に算入する。

ただし、同被告人に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

7  被告人Gを懲役二年に処する。

未決勾留日数中二六〇日を右刑に算入する。

ただし、同被告人に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

8  被告人Hを懲役一年二月に処する。

未決勾留日数中二六〇日を右刑に算入する。

ただし、同被告人に対し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

9  被告人Iを懲役一年六月に処する。

未決勾留日数中二六〇日を右刑に算入する。

ただし、同被告人に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

10  被告人Jを懲役二年に処する。

未決勾留日数中二六〇日を右刑に算入する。

ただし、同被告に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

11  被告人Kを懲役一年六月に処する。

未決勾留日数中二四〇日を右刑に算入する。

ただし、同被告人に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

12  被告人Lを懲役一年六月に処する。

未決勾留日数中二三〇日を右刑に算入する。

ただし、同被告人に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

13  被告人Mを懲役一年に処する。

未決勾留日数中八〇日を右刑に算入する。

ただし、同被告人に対し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

14  被告人らに対し、別紙訴訟費用負担表記載のとおり、それぞれ訴訟費用を負担させる。

理由

(本件犯行に至る経緯)

日本大学(以下「日大」という)においては、かねてから、学内での集会、印刷物の刊行・配布等を許可制とする学則三一条等の規定の運用をめぐり大学当局側と学生側との間で軋轢を生じていたところ、昭和四三年四月一五日大学の経理に約二〇億円のいわゆる使途不明金(後にいわゆる闇給与であることが明らかにされた)があることが東京国税局の調査の結果判明した旨の新聞報道がなされたことが契機となり、その前後に理工学部一教授のいわゆる裏口入学謝礼金についての脱税問題に関する新聞発表(同年一月末)、経済学部会計課長の失踪事件、理工学部会計課徴収主任の自殺事件(いずれも同年四月)等も重なつたため、日頃多数学生の抱いていた大学施設の劣悪さと著るしい定員超過に対する不満、そこで行われるマスプロ教育に対する飽き足りなさ、大学側の学生自治活動等に対する規制の厳しさおよび応援団員等による暴力沙汰の横行する大学の体質等に対する反感等が急激に爆発し、多数の学生が会頭古田重二良を頂点とする大学管理者や教授に対し「学生不在、営利第一主義の大学運営」「学生の自由、自治に対する弾圧者」等と非難するようになり、同年五月二二日頃から集会、デモ等により大学当局の学生弾圧粉砕、二〇億円不正事件の糾弾をめざし、またそのための大学側の大衆団交を要求して闘争を展開するに至つた。そして、学生らのこの闘争は、同月二六日に全学共闘会議(全共闘)を結成して引き続き激しく行われ、同年六月中旬からは各学部で次々と校舎の占拠、バリケード封鎖が全共闘派の学生らにより行われるようになつた。この過程で、同年六月一一日には、経済学部校舎前で集会を開いていた全共闘派の学生側の禁止措置により同校舎内に入れなかつたのに、全共闘派学生らにおいて体育会系右翼学生と見た一部の者が同校舎への立入りを許され、これに抗議して全共闘派の学生らが同校舎内へ押し入りかけたところ、右「体育会系学生」らからびんを投げつける等の暴行を加えられ、さらに全共闘派学生らが付近をデモし、その後同校舎前に集結した間も同校舎の窓から右「体育会系学生」らがびんや砲丸等を投げつけ、そのため全共闘派の学生に多数の負傷者が出、しかもその後その場に来た警察の機動隊は、全共闘派の学生らの期待に反して校舎内にいる者を検挙しようとせず、かえつてこれに抗議した全共闘派の学生らをその場から退かせ、その際に全共闘派の学生らの中から逮捕される者が出るということがあつた。この事件、およびその後も闘争の過程の中で、占拠中の全共闘派の学生がしばしば反対派の者などに襲われ暴行を受けたこと、また機動隊により全共闘派の学生が規制検挙されることがしばしば生じたこと等のために、全共闘派の学生らは、大学側が暴力を用いて自分らの闘争の圧殺を図ろうとしているとして怒り、また機動隊に対しても憎しみを募らせていつた。このようなことがあつて、紛争がますます激化し、同年七月二〇日頃古田会頭が一旦八月四日に大衆団交をすることを約しながらその後これを破棄したり、同年九月四日には機動隊が出動して法・経校舎等の占拠者排除の仮処分が執行されその時不幸にも機動隊員が一名死亡する等の経過を辿つた後、同年九月三〇日大学当局側が計画した全学集会が日大両国講堂で開かれた際全共闘側の強い要求により大学当局側と学生側との初めての大衆団交に切替えられ、この席上古田会頭その他大学理事者は、全共闘派の要求項目をほとんど全面的にのんで、前記仮処分の解除、学生自治活動に対する弾圧をやめ、検閲制度を撤廃し、学則三一条を破棄すること、指導委員会制・顧問制の廃止、本部体育会の解散、学生会館の早急な設立、二〇億円の闇給与問題の全容の開示、経理の全面公開等を確約し、学生から要求されていた全理事の総退陣についても、古田会頭は手続・出席人員に問題があつてその席上では退陣できないとしたが、個人的には即時退陣の決意を固めたと表明し、さらに、一〇月三日午後三時理事総退陣を前提として両国日大講堂において大衆団交を継続することを確約した。このような大学側のほとんど全面的な譲歩により、長く続いてきた紛争はここにヤマを越して解決するかに見え、多くの学生らは自分らの要求が通つたものとして闘争の勝利感にひたつた。

しかし、それも束の間、大学当局は手のひらを返したように一〇月三日の大衆団交を拒否した。しかも、これが佐藤首相が右大衆団交について否定的な発言をした旨の報道がなされた直後であつたため、全共闘派の学生は大学当局が首相の介入により約束を破つたものとして、怒り、紛争はまたも長期化の様相を示すに至つた。そして、その後大学当局は前記大衆団交での確約事項について指導委員会制・顧問制の廃止、学則三一条の撤廃等一部については実行したが、大半の事項についてその実行が遅れるうち、同年暮頃から翌春卒業予定の四年生についていわゆる疎開授業が始められ、さらに卒業期が迫る等のため全共闘派の運動のエネルギーが低下していくなかで、全学部に及んでいた全共闘派による校舎占拠は次々と大学側の要請により機動隊が出動する等して昭和四四年二月中旬までの間に解除されていき、同年度の入学試験も実施され、各学部における授業もなしくずし的に次々と再開されていつた。そして、大学当局は授業妨害を防止するため、校舎の周囲に有刺鉄線の柵をはりめぐらし、ガードマンを雇つて警備し、また授業を妨害しない旨の誓約書を提出した学生のみに受講票を与え、これを校舎入口で検閲する等の態勢をとつた。こうした状況に対し、全共闘派は、大学側が大衆団交前よりも激しい弾圧体制を復活させたものとして非難し、闘争の拠点を明治大学におくなどしてときどき集会、デモをして闘争を継続していたが、以前に比べると盛り上りに欠けるものがあつた。こうするうち、同年九月を迎え、一旦責任をとつて会頭を辞任したはずの古田重二良がまたぞろ改正になつた大学寄附行為により新たに設けられた会長に就任しまた同じく責任をとつてそれぞれ辞任した前学生担当理事が総長に、前法学部長が理事長にそれぞれ就任するという異例のことがあつたため、結局大学側首脳部は居据りを策したものとして学生らに新しい反撥原因も生まれ、これとともに同年秋の佐藤首相訪米、いわゆる七〇年安保闘争を間近に控えて反代々木系全学連傘下の各セクトが競つて過激な実力闘争の方針を打ち出していたことなども影響して、全共闘派の学生において、同年九月三〇日に前記両国講堂における大衆団交一周年を記念して日大の中心である法・経校舎実力再占拠を目的として集会デモを行ない、再び闘争を盛り上げようとした。こうして、いよいよ明治大学新・旧学生会館、同一一号館中庭において、「法・経奪還実力再占拠総決起集会」と称する集会および同所から日大法・経学部までのデモが全共闘の主催で開かれることになつたのであるが、全共闘派学生のうちいわゆる中核派、ML派などのセクトに属しまたはこれに同調する者は、これより先東大闘争の主体であつた東大全共闘と提携したことなども影響して次第に政治闘争的色彩を加えてゆき右法経奪還闘争においては、火炎びん等を用いて、国家権力による弾圧機構として学生らの実力行動を圧殺しようとする機動隊を打ち破ることを企図した。

以上の経過を経て本件に至つたのであるが、被告人M、同Jを除くその余の被告人らは、本件当時日大学生であつた者、被告人Jはその年同大学を卒業したことになつているが引き続き同大学生同様に活動してきていた者で、被告人Bは日大全共闘書記長の地位にあり、同被告人、被告人G、同HはいわゆるML派に所属しまたはこれに同調していたもの、被告人D、同F、同I、同J、同K、同Lはいわゆる中核派に属しまたはこれに同調していたもの、被告人A、同C、同Eはいわゆるノンセクトであるが、本件にあたり中核派と行動を共にしたもの、また被告人Mは法政大学学生である。

(罪となる事実)

第一  被告人A、同B、同C、同D、同E、同F、同G、同H、同I、同J、同Kおよび同Lは、

一  多数の学生らが、昭和四四年九月三〇日午前一〇時頃から同日午後五時三二分頃までの間、東京都千代田区神田駿河台二丁目一番地所在明治大学新・旧学生会館内、一一号館内およびその構内中庭において、右学生らの違法行動に備えて警備する警察官らに対し共同して暴行を加える目的で、その攻撃用具として多数のコンクリート塊、角材(少くとも百数十本)、火炎びん(二百数十本)等を準備して集結し、その間の午後三時三〇分頃から右中庭で開かれた千数百名の学生らによる日大法経奪還実力再占拠総決起集会がいよいよ終ろうとした午後五時三〇分頃から同三二分頃までの間そのうち少くとも数十名が火炎びん等を所持して同番地先の学生会館前路上に進出した際、いずれも前記共同加害目的をもつて、

(一) 被告人Aにおいては午前一一時前頃以降、被告人Cにおいては午後〇時三〇分頃以降、それぞれ、兇器の準備あることを知つて前記集団に加わつたうえ、火炎びん各二本を所持して前記のとおり学生会館前路上に進出し、もつていずれも兇器を準備して集合し、

(二) 被告人Eおよび同Kにおいては、午前一〇時頃以降、被告人D、同F、同G、同I、同Jおよび同Lにおいては遅くとも午後一時頃以降、いずれも前記集団に加わつて多数の火炎びんを前記建物内に配置準備し(被告人Gにおいては多数のコンクリート塊も準備し)、かつ被告人Eおよび同Fにおいてはさらに火炎びん各二本を所持して前記のとおり学生会館前路上に進出し、もつていずれも兇器を準備して集合し、

(三) 被告人Bおよび同Hにおいては、遅くとも午後一時頃以降、それぞれ兇器の準備あることを知つて前記集団に加わり、

二  いずれも多数の学生らと共謀のうえ、同日午後五時三三分頃から数分間にわたり、前記各学生会館周辺道路で学生らの違法行動を制止・検挙する任務に従事中の別紙受傷者一覧表記載の一六名の警察官を含む多数の警察官らに対し、被告人Aおよび同Cら多数の学生らにおいて、右道路上や前記各学生会館内から火炎びんやコンクリート塊を投げつけるなどの暴行を加え、もつて右各警察官らの職務の執行を妨害するとともに、その際右暴行により別紙受傷者一覧表記載の警察官一六名に対し同表記載のとおり各傷害を負わせた

第二  被告人Mは、同日午後六時三〇分頃同区神田駿河台一丁目三番地駿河台ホテル付近路上で、学生らの違法行為を制止・検挙する任務に従事中の多数の警察官らに対し、同所で投石していた約一〇〇名の者と意思を相い通じたうえ、自らは四回くらいコンクリート塊を投げつける暴行を加え、もつて右警察官らの職務の執行を妨害した

ものである。

(証拠の標目)〈略〉

(主な争点についての説明)

一判示第一、二の犯行についての共謀

弁護人らは「自ら直接犯罪の実行行為をしなかつた者をも共同正犯として処罰すべしとするいわゆる共謀共同正犯理論は、罪刑法定主義に反し、憲法三一条に違反する。仮りにそうでないとしても、被告人らが判示第一、二の犯行の共謀をしたことは本件証拠上認め難い」旨主張する。

まず、自ら直接犯罪の実行行為をしなかつた者についても、その者が実行行為をなした他人との間で右犯罪を遂行することについて共謀していた場合には、刑法六〇条の共同正犯として処罰することができ、こうしてもなんら罪刑法定主義や憲法三一条に反しないことは、すでに確立した判例の存するところであり、当裁判所も同じ考えである。

そこで、当裁判所は前認定のとおり判示第二、二の犯行について被告人らと多数の者の間に右犯罪についての共謀の存したことを認め、自ら直接その実行にあたつたと認められる被告人Aおよび同C以外の他の被告人らについても右犯罪についての共同正犯の成立を肯定したのであるが、その理由を以下に説明する。

(一)  島嵜泰夫および和田昭男の検察官に対する各供述調書によると、つぎの各事実が認められる。

(イ) 日大全共闘の中の中核派においては、九・三〇法経奪還闘争において火炎びんなどの兇器を使用して警察官に攻撃を加えることを企図し、遅くとも九月二五日頃から一部の者が、火炎びん投擲等にあたる「決死隊員」を集めるため友人等に対し「こんどの闘争では火炎びんを使う」などと説明して決死隊員に加わることを勧誘していたこと、

(ロ) 本件前日の九月二九日深夜決死隊員となつた者ら二〇名ほどが練馬区の武蔵大学の一室にわざわざひそかに集まり、その席上被告人Jらリーダーは「明日は機動隊の壁を打ち破るのに火炎びん角材が用意してある。君達も死ぬ気で闘つてくれ。」「明日は相当前に出て機動隊に近づかなければ駄目だ。一〇人くらいが投げたら、他の一〇人くらいが交替して前に出る。」「警察がここをつきとめてくるらしい。本当は今日火炎びん投げの練習をしたかつたのだが……」などと話し、出席者の中でこの話に反対する者は誰もいなかつたこと、

(ハ) 決死隊員になつた者ら中核派の者およびこれに同調する者は、本件当日明治大学学生会館新館地下、旧館一階等に集合し、そのうち数名の者は旧館一階演劇研究室で前日来床下に隠してあつたガソリン等を用いて火炎びんをつくつたこと、

(ニ) 被告人らのうち、D、E、F、I、J、K、Lは、前記(ロ)記載の武蔵大学での集会に加わつていたこと(この点については、前記の証拠のほか、被告人Fにつき被告人Cの検察官に対する一〇月一五日付供述調書、被告人Lにつき被告人Eの同月一七日付供述調書)、

(ホ) 被告人K、同Eは、前記(ハ)の火炎びんつくりに加わつていたこと。

これらのことによると、被告人D、同E、同F、同I、同J、同K、同Lは、少くとも二〇名ほどの者との間で、本件犯行につき直接共同謀議をしたことは明らかである。

(二)  つぎに、小野博英の検察官に対する各供述調書によると、次の各事実が認められる。

(イ) 九月二九日被告人Gを含むML派の者ら二、三〇名は、午後四時頃明大学生会館新館三階の一室に集合したが、その席上リーダーの一人は「今日は明日のために武器を用意しておく。明日はすごい闘いになるぞ。学生会館に機動隊が入つて来るから石や角材を用意する」と指示したこと、

(ロ) さらに、同日午後六時三〇分頃同大学一一号館の電算機室の隣室に二、三〇名の者が集まつたとき、被告人Gは「我々は火炎びんを使わなければ機動隊を突破することはできない。明日は火炎びんを投げる。そして明大学館前交差点と白山通りで火炎びんを使い、その間を解放区とする」などと語り、出席者のうちにはこれに反対する者はなかつたこと、

(ハ) そして同日右の者らは投石用の石を準備したりし、被告人Gはその指示をしていたこと、

(ニ) 本件当日いよいよ総決起集会が終りに近づき、小野がML派の者らと明大一一号館地下に角材を取り出す目的で行つたとき、角材の横に二箱の火炎びんが置いてあつたのを目撃していること。

これらのことによると、被告人Gは少くともML派の者またはこれに同調する二、三〇名の者との間で、火炎びんを使用することを含む本件犯行について直接共同謀議をしたことは、明らかである。

(三)  そして、日大全共闘のそれまでの闘争で、火炎びんを用いた本件のような闘争方法は初めてのことであるのに、中核派、ML派の双方がそれぞれ前記のとおり火炎びん闘争を事前に謀議したうえ、かつ現に実行したこと、本件当日の集会の司会者は中核派の被告人JとML派の同Gであつたこと、日大全共闘の闘争の拠点が当時明大にあり、そこで両派の者がつねに打合せをする機会は十分あつたこと、中核派の者が決死隊員を勧誘するとき、「今度の九・三〇闘争は全共闘として取り組む」、「他からも決死隊を出すといつている」とか、「闘争の方法としては、たとえばMLとノンセクトが三崎町校舎西側から機動隊を突破して進み、中核が正面から進む」とか話していたこと(和田の一〇月七日付検察官調書)、本件当日中核派の決死隊員が学生会館の地下からロビーへ火炎びんを持ち出すとき、MLのヘルメットをかぶつた者もそこにいたこと(和田、小野の各検察官調書)等の事実を総合すると、少くとも中核派、ML派の各リーダー的立場にある者の間で、火炎びん等の兇器を使用することについて共謀が存したことは十分これを推認することができる。

(四)  また、被告人Cの検察官に対する各供述調書によると、同被告人は、九月二五日頃から「経闘委」の部屋に出入りしているうち、同月二九日被告人Fに誘われて本件闘争で火炎びんなどが使われると知りながら闘争に参加することを決意し、その夜同被告人の下宿に泊つたうえ、本件当日明大に行き、かつ自ら中核派の者らと共に火炎びんを所持したうえその投擲の実行をしていること、被告人Aも、同人の検察官に対する供述調書によると、本件において他の者と共に火炎びんを所持するに至つたうえその投擲の実行をしていることからすれば、少くとも共に火炎びんを所持して道路上に進出した多数の者との間では直接的に、おそくとも右行為の時点までに共謀をしたというべきこと明らかである。被告人Bについても、その地位(全共闘書記長でML派に所属)からすれば、集会場に来てから本件犯行がなされるまでの数時間の間には、ML派の者から本件当日の闘争方法について説明を受けたものと推認でき、かつ同被告人がその日の集会で「機動隊を実力で突破して法経を奪還しなければならない。白山通りを騒乱状態に巻きこみ云々」とアジ演説をしたことは証拠上明らかである。さらに、被告人Hについては、同人の供述調書では、「本件闘争において石や角材は用意されると思つていた」旨述べており、このことや同被告人はML派に属し「ゼミ闘委」のリーダー的立場にありかつ本件当日も友人にML派のヘルメットを探して来てわたしてやつたり、「九・三〇法経奪還白山通り騒乱闘争に決起せよ」との趣旨のことを書いたビラを自ら一〇〇枚くらい配り、友人にも配らせていること、当日MLのヘルメットをかぶり手拭でマスクをしていたこと、本件当日右友人らは火炎びんが使われるかもしれないと人から聞いていること(証人沢村福光の尋問調書)等に照らすと、同被告人も遅くとも本件当日においてML派の者ら他の者との間で、本件犯行について直接共謀したものと推認するのが相当である。

(五)  そして、証拠上明らかな本件第一、二の犯行の態様、犯行時間等に鑑みると、その実行行為をなした者あるいは火炎びんを手にして道路上に進出した者相互間では、少くともその時点で、直接的に互いに共同して右犯行を遂行する合意が成立したものであることは明らかであり、かつその中には前記のとおり被告人A、同Cがいた外、また同E、同Fもいた(右各被告人の検察官に対する供述調書。但しこの点は右被告人両名各々についてのみ認定)のである。

(六)  以上(一)ないし(五)の各事実を総合するならば、被告人らはいずれも、直接的共謀およびいわゆる順次的共謀によつて、少くとも本件犯行を実行した多数の者全員との間で、互いに共同して一体の集団として警備中の警察官に対し暴行を加える旨の共同遂行の合意をしたものと認めることができる。

二被告人Bに対する兇器準備結集罪の成否

被告人Bに対する兇器準備結集の公訴事実の要旨は、

「被告人は、昭和四四年九月三〇日午前一〇時頃から同日午後五時三二分頃までの間、多数のコンクリート塊・火炎びん・角材等が準備された東京都千代田区神田駿河台二丁目一番地所在明治大学新・旧学生会館および一一号館に学生ら千数百名を集め、同構内中庭において、日大法・経奪還実力再占拠闘争総決起集会を開き、日大全共闘書記長として右学生らに対し、機動隊が我々の周囲を囲んでいるが、これを実力で突破して法・経を奪還しなければならない。白山通りを騒乱状態に巻き込み解放区にしよう。私は日大全共闘の先頭に立つて闘うことを誓う、などと演説して、右学生らの企図に備え警備中の警察官に対し、右兇器類を使用して暴行を加えその企図を実現する決意を固めさせたのち、右学生らをして、同地先明大通りまで火炎びんなどを所持して進出させ、もつて他人の身体・財産に対し共同して害を加える目的をもつて兇器の準備あることを知つて人を集合せしめた」

というものであり、本件証拠によると、昭和四四年九月三〇日午前一〇時頃から同日午後五時三二分頃までの間明治大学新旧学生会館および一一号館に学生ら千数百名が集合したこと、その際そこに多数のコンクリート塊、火炎びん、角材等が準備されていたこと、同被告人が同所中庭で開かれた「日大法・経奪還実力再占拠闘争総決起集会」において日大全共闘書記長として右公訴事実記載の趣旨の演説をしたこと、その後学生らが明大通り付近まで火炎びん等を所持して進出したことは、いずれもこれを認めることができる。しかし、同被告人は、当公判廷において、「同被告人は、昭和四四年二月中頃から自己に逮捕状が出ているものとの考えから東京を逃げ出し、とくに同年四月からは日大全共闘による闘争ないし運動に対し指示を与える等のことは一切していない、本件集会のことはその四ケ月くらい前に聞かされ、『出るか』と尋ねられたので『出たい』と答えただけで、右集会に対し何らの準備もしておらず、本件当日も右集会の始まる数時間前に初めて来た」旨供述しており、同被告人のこの供述に反する証拠はなんら存しないこと、本件当日における同被告人の行動としても前記演説以外には格別のものが本件証拠上認め難いこと、また本件当日の集会では、同被告人以外にもそれより先に数名の者がアジ演説をしており、その内容も同被告人の演説内容と似たり寄つたりで、同被告人の演説だけが集合している者達に警察官に対する共同加害意思を形成させまたはすでに生じていたその意思を強めるのに格別強い効果を有していたものとは本件証拠上認め難いこと等に鑑みると、前記の事実関係が認められても、同被告人の行為が「人を集合せしめた」場合に該当すると評価するのは相当でないといわなければならないから、同被告人に対する兇器準備結集罪は成立しない。

しかし、証拠上、判示のとおりの兇器準備集合の事実はこれを認めるに十分で、これを認定することは同被告人に対する兇器準備結集の訴因が前記のとおりである本件においては訴因内におけるいわゆる縮小認定にあたる場合で、同被告人の防禦に実質的な不利益をきたすものではないから、右事実を罪となる事実として認定する。

三正当行為の主張について

弁護人らは、本件各行為につき、「日大当局が、昭和四三年九月三〇日の大衆団交における確約を不誠実にも一方的に破棄し、以前よりもなお悪質なやり方で、大学の改革を求める学生らを大学から閉め出し弾圧しようとしている等の状況のもとでは、右大衆団交における確約の履行を求め、大学を自らの手に取り戻す目的をもつて行われた本件各行動は、日大学生としてやむをえないものであり、仮りにこれが刑罰法規に形式的に触れるとしても、違法性を有しないから、被告人らは無罪である」旨主張する。

なるほど、前認定の本件に至る経過事実その他本件審理で明らかになつたところによると、全共闘派の学生が、多方面に数数の犠牲をその過程で生んだ四ケ月余りにわたる激しい闘争の結果折角かちとつた大衆団交における確約の履行について、その後大学当局は真しにかつ問題を根本的に解決しようとする態度で取り組んでおらず、表面的に紛争の収拾がつき授業ができれば事足れりとする態度で臨んでいるのではないかとの不信感を学生らが抱くのも無理からぬといいうる状況が本件当時存したことはこれを認めることができるし、また学生らが右確約の履行を大学当局に要求することは当然の権利であつて(もとより、一般的にいえば、大学において大学当局と学生側との間に紛争が生じた場合に、これをいわゆる大衆団交の方式によつて学生側が要求事項についての回答を大学当局に迫ることは、それが冷静な雰囲気を欠き吊し上げ的状況に至る危険が顕著で、ときに脅迫暴行を伴うことがあるから、必らずしも適切な方法とは、いい難いが、日大紛争の具体的な経過のもとでは、昭和四三年九月三〇日の大衆団交で大学当局が一旦明確に確約した事項については〔それが多数をたのんで脅迫、暴行というような単なる力ずくで押付けたものでないことは九月二一日付で古田会頭名で日大全共斗会議長秋田明大宛に出された回答書によつても十分推測しうることであつた〕、これを大学当局が誠実に履行する義務があるものと認められる)、前記の状況の下では、ある程度その方法が強いものになることは肯けるが、その方法が、大学の建物を実力占拠してバリケード封鎖することであつたり、ましてや本件の如く、学生らの目的とするところが多数の危険な兇器類を準備してこれによつて警備中の警察官に攻撃を加えて警察官の警備を突き破つたうえで大学建物を占拠することである場合においては、たとえ窮極的に目的とするところが自分達の権利を実現し大学を改善することにあつたとしても、現行法秩序のもとでは到底許されるべくもないことは明白である。それならば右の目的の実現のためにはいかなる方法があるか、「目的はよいが、手段がいけない」というような傍観者的な否定的判断を示すだけでは何の解決にもならないという反問もあろうが、あらためて説明するまでもなく、法治主義を建前とする民主主義的社会においては、紛争の解決は、あくまで法律的手段による場合を除いては、非暴力的方法即ち相手方の理性に訴えるか又は世論に訴える方法によりこれをなすべきであり(例えばガンジーの非暴力主義を想起せよ)そのためには解決に時間を要することがあつたとしてもやむをえないものとしなければならないのである。殊に本件の場合いわゆる確約事項は一般常識人にとつてわかりやすく且共感を呼ぶものであつただけに、時間をかけ一般多数の学生や広く世論に訴える方法の方が長い目でみれば結果的にはるかに有効であつたのではないかと思われるのである。たといどんなに正しい目的であつたとしても若しその実現のために一旦実力的手段を許したとすれば、それを否定する側の目的の実現のためにもやはり実力的措置を禁ずることができなくなり結局悪循環に陥ることを免れないのである。このことは、日大紛争の経過を見てもいえることではあるまいか。いずれにせよ、本件のような方法が弁護人主張のように被告人らにとつて目的実現のためにやむをえない方法であつたとは到底いうことができない。

よつて、弁護人の前記主張は、到底これを採用し難い。

(法令の適用)〈略〉

(量刑理由)

一  被告人Mを除くその余の被告人らについて

本件第一の犯行は、著るしく多数の火炎びん等の兇器を準備して集合したうえ、これを用いて職務に従事中の警察官に攻撃をしかけ、それにより現に多数の警察官を負傷させたものであり、態様は甚だ悪質危険で生じた結果も軽視できない。そして、本件において主導的立場にあつたと見られる被告人J、同G、同Fはもちろん、同D、同E、同I、同K、同Lは本件前日の事前謀議に加わるなどして、火炎びんの準備その他本件犯行全般において積極的役割を果したものであり、また被告人Bは全共闘書記長の立場で過激なアジ演説をし、被告人Aと同Cは火炎びん投擲の実行に及び、被告人Hは本件当日の集会が公務執行妨害にまで至る過激な闘争となることを知りながら、本件前々日二〇人くらいの者にこれへの参加を呼びかけまた本件当日多数のビラ配りをするなど、いずれも本件において果した役割は小さくない。そのうえ、被告人らはいずれも当公判廷では日大闘争の正当性等を語るばかりで、本件行為そのものに対しては反省の情を示さなかつた(もつとも、被告人A、同C、同Eは、捜査段階では本件行為につき後悔している旨の供述をしていた)。これらの点に徴すると、被告人らの本件刑責は決して軽くないといわなければならない。

しかし、他面、本件行為は全共闘派学生らによるいわゆる日大闘争の一環として行われたものであることが明らかであるところ、本件に至るまでの日大における紛争の経過を見ると、紛争の発端となつたいわゆる使途不明金(それは後に闇給与とそれに対する源泉徴収の脱漏であることが判明した)問題等に現われている経理の不明朗、学生運動に対する極端な嫌忌と学生自治に対する厳しい規制、著るしい定員超過の学生の在籍とこれに見合わない施設の状況等もともと日大の大学運営には他大学にくらべて問題が多かつたうえ、紛争中における大学当局側の動きあるいは対応措置の中には、たとへば体育系学生と称される者等を用いての全共闘派に対する実力的対抗行為と見られても仕方がない状態があつたこと、大学側の約束違反(とくに大衆団交について、昭和四三年八月四日に一度その約束を破り、その後同年九月二一日付会頭から全共闘議長に対する回答書中で右違反について謝罪し今後はいかなる約束をも必らず守る旨明言しながら、同年九月三〇日に確約した同年一〇月三日の大衆団交を拒否したことはその顕著な一例である。)、九・三〇大衆団交での確約事項についての実行が遅れている一方、安直な疎開授業等によつて予定どおり卒業生を送り出そうとしたり、全共闘派に対する厳しい警戒体制を敷いて授業を行なつて全共闘派の一層の反感を買つたこと、さらには本件直前において新寄附行為に基づく大学の新執行部に一度責任をとつて退陣したはずの古田前会頭が名前だけ替えて会長という形で居すわつた外同様に責任をとつたはずの旧理事が新執行部に加わつたことなど、甚だ不当、不適切あるいは常識上理解に苦しむことが多く、これらのことが全共闘派の学生をして「大学当局は大学の根本的改革に誠実に取りくもうとせず、ひたすら学生に対し暴力的ないし欺瞞的手段を用いて紛争の表面的な収拾のみを図ろうとしているもので、このような大学当局に対してはさらに強い闘争手段によつて抗議を示す必要がある」との思いに傾かせる一つの大きな原因となつたことは否定し難く、結局少くとも大学側が本件に対する有力な動機原因を与えた点は、被告人らの刑責を定めるについて斟酌すべき事情として本件量刑にあたり被告人らに有利に考慮しなければならない。また被告人らのうちには、Dを除き、過激派学生らによる違法行動が横行した時期にあたる本件保釈期間中に再犯を犯したものはなく、いずれもそれぞれ職業または学業について落ちついた生活をしてきたことが認められ、再犯のおそれは乏しいと考えられる。

以上の各事情その他諸般の情状に鑑みると、被告人Dを除く他の各被告人については、本件犯行における地位、役割、具体的な加功の状況等に応じ、それぞれ主文記載のとおりの刑期の懲役刑を量定するが、いずれもこれに執行猶予を付するのが相当である。被告人Dについては、本件保釈中傷害致死等の罪を犯したとして起訴されていることおよび当公判廷における供述内容からみて再犯の虞が乏しいとはいい難いが、本件行為において右執行猶予を付することにした共犯者らのほとんどにくらべて格別刑責を重からしめるほどのものはなく、また本件前には起訴猶予処分の前歴が一回あるのみであること、同被告人が公判廷で殊更尖鋭なことをいうのは現在右別件で身柄を拘束されているという特殊な立場にあることのためであると思われるふしもあること等を考慮し、同被告人に対しても、本件においては、刑の執行を猶予することとするが、猶予期間については前記事情も併せ考慮し他の被告人らよりも長く四年間と定めることとする。

二  被告人Mについて

同被告人についても、第二の犯行の態様、本件前には顕著な前歴がなく、また本件保釈期間中も無事過してきたこと等に鑑み、その刑の執行を猶予するのが相当である。

(熊谷弘 金谷利広 門野博)

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